ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

3・11東日本大震災の爪痕視察

 「人は長年生きて、ずっと楽しむがよい。だが、やみの日も数多くあることを忘れてはならない。すべて起こることはみな、むなしい」(伝道11:8)。
 2016年7月28日に、8月6日原発ツアーを予定していた教会関係の人々を案内する為、福島第一原発を見ながら、浪江町の請戸地区まで行って来ました。
 私の家は勿来なので、国道6号を使いました。まずは初めてのいわき市四ツ倉町から久ノ浜町を車中から見てみました。ここは3・11東日本大震災で大きな津波の被害を受けました。6号から海がちらっと見えただけです。現在防潮壁と防災緑地を建設中だからです。両者のうち四ツ倉だけ、防潮壁の間に海水浴場があります。工事の為美しい海岸への進入はほとんど不可能です。
 ここを過ぎると広野町に入ります。しばらく走ると東電広野火力発電所の2本の大煙突が見えてきます。ここまで来ると、福島第一原発から21キロ、放射能の影響は出ています。町民は一時避難しましたが、6ヶ月後解除になりました。勿論地震津波による被害もありました。それで町に戻った人々の数は、震災前の約半分です。インフラ整備もまだまだで、町長は幸せな帰町・復興に向け全力で取り組んでいくと言っていますが、これが5年数ヶ月経過した広野町の現状です。
 さらに北上するとサッカーで有名なJヴィレッジがあります。原発事故後収束の為の拠点となりましたが、今はサッカー場として再び使用される予定です。1周して見ましたが、ほとんど人や車に出会いませんでした。ここは楢葉町と重なっているので、もうそこまで来たんだという感じでした。木戸川橋を過ぎると、JR常磐線竜田駅の標識が見えました。現在常磐線の終点はここまでです。JRではとりあえず北隣の富岡町まで、懸命に復旧作業を続けていますが、その先の夜ノ森駅は、だいたい毎時2.3マイクロシーベルト位で、帰還困難区域になっています。しかしこの富岡から浪江駅まで、政府とJRは2020年春までに復旧させ、全線開通させるようです。ごり押しの印象です。

 夜ノ森駅の次が大野駅で、ここに私が通っているいわき市泉町の教会の元の教会が放置されたまま存在し、今でも墓前礼拝は通行許可証と共に、あの白い完全な防御服でないと入れません。写真左は富岡駅から見た竜田までの復旧工事風景です。
 というわけで、楢葉町はあっと言う間に通過し、次の富岡町に入りました。すぐ右手に福島第二原発があります。休止中ですが、安倍内閣は再稼動を狙っているという噂が絶えません。仏浜地区に入り、右折すると富岡駅があります。全町避難の中、ここは避難指示解除準備区域となっていますが、宿泊は出来ず周辺はゴーストタウンのままです。6号沿いも浪江までゴーストタウンが続きます。
 放射線量の高い夜ノ森北と小良ヶ浜を過ぎて、いよいよ大熊町に入りました。6号から左右の道は通行止めのために、信号は「赤」になる事がありません。6号開通の頃行った時、止まってはいけない、窓を閉めて早く通過しなさいといった看板がありましたが、現在ここは帰還困難区域ですという看板が多々ありました。上で触れた大野駅左折とある信号を過ぎると夫沢地区になり、福島第一原発のゲートまで直ぐです。車道に右折レーンがあります。

 写真右はツアーの助手席からいわき方面に向かう時撮ったもの。中央に白い厳重なバリケード、その奥に第一原発の建物が少し見えます。さすが線量は高く、毎時12マイクロシーベルト位です。
 そこを過ぎると、同じく帰還困難区域の双葉町です。大熊町と共に、この地区の右手海岸沿いに中間貯蔵施設が出来てしまうのか、などと思いつつ通過しました。
 そして間もなく最終地点の浪江町に入りました。避難指示解除準備区域で、本来通行許可証が必要なのですが、請戸漁港が現在工事中で、南側は盛んに除染しており、ダンプがひっきりなしに通るので、浪江町としては私のような者でも黙認しているようです。知命寺交差点を右折し、254号を進むと、途中海に沿って南下するようになっており、この辺からも福島第一原発が遥か7キロほど先の小高い山の上に少し見えます。

写真は請戸地区から撮りましたが、ここは全て津波にさらわれ、甚大な被害が出ました。家々の土台、瓦礫、そしてところどころに破損した家がありました。ちなみに請戸港は海中瓦礫の受け入れ指定港となったので、港湾復旧工事が盛んで、立ち入り禁止となりました。

写真右は請戸漁港からすぐ近くに点在する破損した家々。
 そして最後に、この請戸地区の行ける所まで行きましたが、見つけたのがマスコミでも有名な請戸小学校です。写真下。

 1階天井まで津波が押し寄せたそうですが、先生の「逃げろ」という指示が適切で、2キロ先の太平山という所まで走って逃げ全員無事でした。海岸から300メートル。私が見渡した限りでは、他に津波を遮るものが無く、もしこの指示が遅れたら、全員死亡したと思います。
 というわけで、視察した限りでは、第一原発を中心にその周辺での復興は、全くと言ってよいほど進んでいません。迫っている東京五輪を前に、幾ら福島隠しをしようとも、白日の下に晒されるでしょう。真に福島の復興を願うなら、国も都も五輪は先に延ばし、復興の為に全力を注ぐべきです。悲観的ではありますが、ささやかな抵抗を試みました。