ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

3・11から10年目の大熊町

「見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。あなたがたは、それを知らないのか。必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける」(イザヤ43:19)。

東日本大震災、特に原発事故から10年になる3月11日、急に思い立って福島第一原発のある大熊町、そして北側で隣接する双葉町中野地区、教会の友人が新たに小さな家を建てた浪江町まで行ってみる事にした。

車で1時間半。富岡インターのある所から35号線を通り、大熊町役場に行ってみた。

特に理由は無い。役場を中心とした大川原地区の復興状態を一瞥し、解除になった大野駅西口周辺を確認するくらいのつもりだった。

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前方真ん中に見える2階建て建物の右側にテントが見えるが、そこでは大熊町追悼の碑「希望の灯り」の除幕式が行われる事になっていた。それは阪神大震災犠牲者鎮魂の為の石碑の上にあるガス灯から分灯されたものだという。

僕の所属教会はずっと東のほうにあるが、死者の為の祈りは捧げない。今生きている信徒たち及び求道者たちの、希望に溢れた将来を追い求める。主がそれを成し遂げられる。10年前の銘記すべき午後2時46分は、車で帰途の途中いわき市に入った頃迎えた。

大熊町はこの地区だけが発展途上にある。食事の為の店やいろいろな商業施設もここだけにある。良く晴れた日で、背後の山々が美しかった。しかしそこに人は決して入って行く事が出来ない。放射能が高く、今なお帰還困難な場所だからである。福島第一原発

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事故は、そのように多くのすばらしい自然を奪い、人々を避難させ、10年経過後も尚、到底除染・人の帰還など適わない。

その後僕は一つ道を間違え、通行を妨げる柵に何度も追い返され、やっと一部通行可能になった大野駅西口に来る事が出来たが、その手前に閉鎖中の県立双葉翔陽高校を見つけた。2017年に休校となった。僕は誰もいないこの学校に進入したが、まだ立ち入

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り禁止だったかもしれない。早々に立ち去り、大野駅に向かった。駅舎だけは立派だったが、まだ西口付近の大半が帰還困難で、人は住めない。

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ここから車で東口に行くには通行許可証がないと、だいぶ遠回りになる。以前解除後一回来た事があるので、そこからは直ぐ国道6号に乗れた。

北隣の双葉町中野地区にある出来たばかりの伝承館近くから、福島第一原発近くにアクセスしようとしたが、ちょっと近過ぎたせいか、原発の鉄塔など見えなかった。さらに北の浪江町請戸地区から、かろうじて見える程度と分かった。だから帰りに6号の第一原発信号から左を見て、廃炉作業中の原発を覗いた。後続車が続いたので、下車して写真を撮る事が出来ずに、帰宅の途に就いた。

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僕にとっては大熊町とそこに立地する第一原発が、10年経たこれからも原点となり続ける。