ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

中村哲ー医者の不養生への強烈なパンチ

そこでイエスは彼らに言われた。「きっとあなたがたは、『医者よ、自分を治せ』ということわざを引いて、『カペナウムで行われたと聞いていることを、あなたの郷里のここでもしてくれ』と言うでしょう。」(ルカ4:23)

エスの時代、「医者よ、自分を直せ」ということわざがあった。これは「医者の不養生」と言い換える事が出来る。

外科医の天野敦氏は、医者になるには、成績がトップでなくても、体力があり、知識と経験を合わせて一つにする事が出来れば、それで十分という持論の持ち主だと思う。

しかし今日成績トップで、現場に出ず、真の医療行為を求めず、楽な研究者を目指す医者の卵は、依然多いだろう。

だがこのイエスのみことばを中学時代から肌で感じ取っていた人がいる。それが中村哲氏だった。氏がアフガンで灌漑工事に行く途中、何者かに銃撃されて天に召された事は、既に皆様ご存じだろう。

氏が信仰を持ったのは、福岡市の西南学院中学の時代だった。その私立中学は米国南部バプテスト連盟の宣教師ドージャーにより、1916年に創立された。宣教師は「西南よ、キリストに忠実なれ」という遺訓を残したそうだが、かの有名なクラーク博士が、札幌農学校で残した「青年よ、大志を抱け」にも通じるものがある。だから現在でも西南学院は大学まで、一貫してキリスト教精神に則り、教育を施している。
氏は私より約5か月後に生まれた同い年の人で、九州大学の医学部に進み、卒業後も敬虔なクリスチャンとして活躍、パキスタンで医療活動、そしてアフガニスタンで灌漑対策として、大規模な用水路を、自ら重機に乗り掘り進めて来た。これは不養生な医者への強烈なアンチテーゼ、強烈なパンチだった。勿論武器なしの平和主義者だったから、当然現政権へのボディブローにもなっている。

それゆえアフガンの民衆の厚い支持を受け、2か月前にはアフガン大統領から名誉市民権を受けていた。
私は信仰を持ってから初めて『医者井戸を掘るーアフガン干ばつとの戦い』を読み、いたく感動した。別の本の題は『医者よ、信念はいらないまず命を救え! 』となっている。アンブロワーズ・パレは「我包帯す、神、癒し賜う」という言葉を残したが、中村氏は当然知っていた言葉だろうし、ヤコブ「あなたがたのうちのだれかが、その人たちに、『安心して行きなさい。温まりなさい。満腹になるまで食べなさい』と言っても、からだに必要な物を与えなければ、何の役に立つでしょう。同じように、信仰も行いが伴わないなら、それだけでは死んだものです」(ヤコブ2:16-17)と言ったのも、熟知していた。だから信念云々ではない、医者は命を救え、と、ぬるま湯に浸っている医者へ、アッパーカットを食らわしたのである。
73歳!まだまだ現役として活動出来るはずだった。偉大なキリスト教の証人、殉教者だったとも言えるだろう。氏は今天国でイエスと共にあり、永遠のいのちを得て安らいでいる。束の間ではあるが、そのご遺族、関係各位の方々、氏を知る同じクリスチャンの方々の悲しみが、癒されるよう、神に切に祈る。