ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

初めての磐梯町訪問−3・11で被災した牛たちを描いた個展

 「神は仰せられた。『地が、種類にしたがって、生き物を生ぜよ。家畜や、はうもの、野の獣を、種類にしたがって。』そのようになった」(創世1:24)
 2017年10月13日、私が所属する教会の牧師の提案で、福島県磐梯町にある「ギャラリーれい」へ、戸田みどり個展を見に行きました。会津地方は2年前除染作業で郡山にいた時、磐越西線を利用して会津若松市に行っただけです。今回牧師を含め9名が2台の車に分乗し、常磐自動車道磐越自動車道を利用して、片道1時間半以内で行けました。
 磐梯町と言えば、会津磐梯山の名前がすぐ浮かんで来ますが、それは東隣の猪苗代町にあります。当日あいにくの雨で、磐梯山の頂上は濃い雲がかかっており、その全容を見る事が出来ませんでした。
左写真はギャラリーれいで、室内の4重の梁が自慢です。何しろ一晩で1メートルは積もるという豪雪地帯なので。
 この旅は神奈川県の相模原市から、私の通う教会まではるばる訪問した画家の戸田みどりさんの証と、福島民報の記事(http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2017/09/post_15442.html)から、是非私も、と申し出て行く事が出来ました。私以外は皆3・11を双葉郡で経験しています。
 戸田さんの描いた絵画は、福島県浪江町立野にある「希望の牧場」の見捨てられた牛たちが主要なモチーフです。3・11東電原発事故で当時全町が避難しました。殺処分に遭うはずだった牛たちは、牧場主吉沢正巳氏の「絶対生かし続ける」という決意によリ、その牧場では生かされて来ました。この牧場と吉沢氏については又別のブログで述べるつもりです。

 戸田さんはこの牧場を2015年と17年に訪れ、被災して痩せ細り、脱毛の目立つ牛たちをスケッチし、作品にしました。
 入館してすぐ正面に据えられた絵画、戸田さんはこの牛についての説明から始めましたが、私は圧倒されました。写真右が「見捨てられた牛」で、説明しているのが戸田さん。
 戸田さんは、神によって創造された代表的な家畜である牛が、原発事故により国から勝手に殺処分の命令が出された事への怒りをもって描いています。
 絵画に見える脱毛の斑点のある牛については、その部分を銀箔と焦がした硫黄で表わしています。この斑点の原因は明らかにされていませんが、原発から14キロのこの牧場の牛たちが、放射能によって被ばくした結果であるのは、間違いないと思います。

 ですから牛たちも怒っています。その感情は作品の目に顕著です。戸田さんは「澄んだ目と立ち上がった前肢がどこか弱々しく、寂しそうな気配を漂わせる。同時に厳しい現実に耐えて決然と生きることの神々しさも表現した」と言われます。左の写真では、牛たちの怒りが全体的に赤の色調で描かれています。
 醜い出来物は本来は黒色に描くのですが、それでは暗いイメージだけです。少しでも神々しさが見えないといけないという事で、銀箔を選んだという説明だったと記憶しています。信徒は絶望の中に希望を見出します。
 長く帰還困難な状態が続いたので、動物たちは野生化し、また生息域も変わって、特にイノシシが人や畑に害をもたらしており、人と獣の共存が困難になっています。
 原発がもたらした牛たちの悲劇、そのままでは終わりません。聖書は冒頭聖句にあるように、神の創造時と同じく、いつかまた全ての動物たちが楽園で人と平和に共存するという事を示しています。「狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる」(イザヤ11:6−8)。
 その前に「火の燃える炉」のような原子炉を作った当事者たちが、永遠の「火の燃える炉」に投げ込まれ、泣いて歯ぎしりするのは当然です。「火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです」(マタイ13:50)。