ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

廃炉の監視強化

「その人は、獅子のように叫んだ。「主よ。私は昼はいつも見張り場に立ち、夜ごとに自分の物見のやぐらについています」(イザヤ21:8)

 19年4月4日の福島民報では、福島第一原発廃炉作業で、放射線監視体制の強化を報じていた。その理由は現在進行中の廃炉過程で避けられない溶融燃料の取り出しにおいて、「変動する」可能性があるからだ。県が独自で出したのは中性子の監視である。変動するとはあいまいな言葉だが、再臨界事故が起こるという事だろう。

 この中性子線で思い出すのが、1999年茨城県東海村で起きた臨界事故における中性子線などの大量放出である。核燃料加工施設があったJCO東海事業所でのずさんな核燃料製造工程で、中性子線を浴びた二人(一人は推定1~20シーベルト、もう一人は6~10シーベルト)が、想像を超えた苦しみの中で死亡した。その悲惨さはネットでも一部報道されているが、放射能被ばくの恐ろしさを、初めて私たちに銘記させた。

 当時私は茨城県鉾田町に住んでいて、ニュースからは、さほど遠く離れていない東海村での事故と知った。だから放射能のもたらす恐怖を身に感じていたわけだが、10年ほど経過して、福島第一原発事故が起こるまでは、少し忘れかけていたと思う。

 この中性子線観測強化では、中性子線検出器を、この年度でまず3台導入する。1つはロボットテストフィールド建設工事で、私が通せんぼされた南相馬市原町区萱浜、もう1つは福島第一原発の存在する大熊町夫沢、そして最後に私の通う教会の元の場所、大熊町大野である。東電は既に第一原発敷地内で中性子線を測定している。

 この廃炉過程におけるデブリ取り出しは、民報の表現では「世界に例のない困難な作業」となる。

 勿論そうだが、4月15日第一原発3号機の未使用・使用済み核燃料の取り出し作業が始まった。566体あるが、最初に未使用の7体を取り出してから、その後使用済みの549体という順序である。

 その作業はクレーンを使っての操作になるが、これまでしばしば不具合が生じて、ずっと延期になっていた。放射能が高いので、どうしても遠隔操作でそれを動かさなければならない。それがうまく行かず、延期延期となっていた。慎重な上にも慎重さが問われる作業だから、ここは東電の措置が正解だと思う。

 未使用だから安全かも知れないが、私たちが監視すべきは、あくまでこのクレーン操作である。仮に使用済み核燃料の取り出し作業が始まり、その最中に事故が生じて、それが落下したとすれば、やはり臨界事故となる可能性はあると思う。3・11東電事故とは比較にならないが、東海村の事故のように半径何百メートル圏内での避難勧告は出されるだろう。

 まして炉心溶融した格納容器で臨界を制御する手立ては失われているから、可能性は低いにしても再臨界を起こさないという保証はない。

 福島県いわき市では、回覧版の中に、経済産業省資源エネルギー庁が出している「廃炉の大切な話2019」というのがあって、各家庭に配られている。

 それを熟読しても、再臨界の可能性を絶対否定しているわけではない。限りなく低いといっても、「万が一、再臨界が起こったとしても、ホウ酸水を注入する設備により、核分裂を抑制する対策をとっています」とあった。

 人間と異なり、遠隔操作によるロボットが、そんな事態でてきぱきと動くのか。未曽有の事態を想定しない机上の案に過ぎないと思うが。