ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

初めて帰還困難区域に入った

 「見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される」(マタイ23:38)。

 2018年4月26日、通う教会の牧師に勧められ、原発から5キロ、大熊町の帰還困難区域に荒れたまま残っている教会堂と納骨堂、そして周辺地域を15名で視察して来ました。大熊町に縁の無い私のような部外者は、こうしたつてに頼らない限り、絶対進入する事は出来ません。あらかじめ許可証をもらい、ゲートで身分証明書を見せ、教会で備えたマスク、手袋、靴の上から被せるビニールの使い捨ての袋も、身に着ける必要があります。出る時も同じようなチェックを受けます。そして積算線量を測る為、第二原発の施設に行く必要があります。これでやっと解放されます。

 遂に帰還困難区域に入りました。すれ違う車は無く、道路に人はおらず、色とりどりの木々が伸び放題でした。大震災以来荒れ果てたまま残っていました。道路からはみ出た大きなカナメの鮮やかな赤色が、元々自然豊かだった大熊町を象徴するかのようでした。
 すぐに目指す教会、納骨堂に到着です。

 この為に買っておいたエステーの空間線量計は、だいたい1時間当たり3マイクロシーベルト位でした。教会堂内部は0.46くらい、一応基準値の2倍です。堅固に作られた為、あまり放射能は内部に侵入していません。
 教会堂は3・11の時点では改築したばかりで、牧師と信徒のアイデアが詰まったすばらしい建築物でした。

 これまで時間制限付(今もそう)で関係者が入っているので、さっぱりしていました。ここでの礼拝は皆立ったまま、やたら器具に触れないよう気を使いました。2階の牧師室などは本が散乱し、地震のすさまじさを垣間見ました。
 会堂入り口の掲示板は当時のまま、3月13日予定の説教題などが貼ってありました。3・11当日も多彩なプログラムが進行中でした。

 再び車に乗ったまま、メインのストリートなど案内してくれました。進行方向右に入ったところに、常磐線大野駅があります。2020年3月までにオープンさせる予定で、駅舎の工事が進められていました。

 写真右は図書館ですが、3・11までは原発で潤っていた町なので、こうした立派な建物が多いとの事でした。文化センターもそう、全く機能しなかった原子力センターもそうでした。
 第二原発は再稼動を巡りピリピリしており、撮影は禁止でした。私たち一行はそこから国道6号広野インターに向いました。楢葉町に入り途中にあるのが、震災後富岡から引っ越して来た有名な豚壱です。震災前は鰻の蒲焼をやっていて、豚の三枚肉を炙って、油を落とし、鰻のタレで丼にした並み盛りの豚丼(600円)が有名で、昼はそこで頂きました。大変美味しかったです(笑)。

 このツアー、大変貴重なものでした。福島では例外的に発展した教会、これを放棄していわきに移るというのは、すごく過酷な試練だったでしょう。さぞ無念だった事でしょう。しかし生かされて来ました。牧師は「私たちの現在の経験は未来の誰かのためです」「大丈夫です、いつ何が起こっても絶対に大丈夫です」と断言してはばかりません。
 セシウム137の半減期30年、あと23年ありますが、解除がいつになるか分かりません。しかし目撃してみて初めて、いつか再びこの会堂でもという、永い永い熱い祈りが必要だと痛感させられました。