ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

双葉町の諸々の施設の動向

 「 彼らは荒野や荒れ地をさまよい、住むべき町へ行く道を見つけなかった。 飢えと渇きに彼らのたましいは衰え果てた。 この苦しみのときに、彼らが【主】に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救い出された。また彼らをまっすぐな道に導き、住むべき町へ行かせられた」(詩107:4−7)。

 昨年9月30日、オープンしたばかりの特別養護老人ホーム「せんだん」視察の為、いわき市勿来町江栗まで行って来ました。
 周辺市町村が避難解除になっても、この双葉町大熊町はまだ全町避難のままです。それで介護が必要なお年寄りの為に、新たにいわき市に移転し、ホームが作られました。3・11が無ければ地元双葉で寿命を全うするはずだった人々でしょう。ですから今ここがお年寄りにとって終の棲家になります。

 一方いわき市に移った若い人々はどうしているでしょうか?18年2月27日いわき市錦町で4年前開校した双葉町立双葉中学、双葉北小学校、南小学校、ふたば幼稚園を見て来ました。敷地内で一体のものです。
 道路からすぐ見えたのが幼稚園の生徒と先生でした。20人は居たと思います。元気な声が響いていました。彼らはそこで遊び学んで、隣の小学校や中学に進み、市内・市外の高校へと巣立ってゆくのでしょう。
 昨年9月復興庁は双葉町から申請されていた双葉町特定復興再生拠点の計画を承認しました。2022年には拠点の全域を避難解除にする予定です。除染により空間線量が毎年20ミリシーベルト以下になるという計算があっての事です。
 しかし五輪までに双葉駅周辺の一部を避難解除したところで、この錦町近郊に住み、学びを続けている生徒たちが、親と共に双葉町に戻るでしょうか?すさまじいゴリ押しとしか言えません。
 ではこれまでいわき市を始め、仮設住宅などで不自由な生活を送って来た人々(大勢がお年寄り)は、どこに行くのでしょう?
 既にブログではいわき市勿来町酒井で建設中の災害公営住宅の一部を紹介しましたが、この2月27日改めて現場に行って見ました。

 もうびっくり、以前の視察以来格段の進展を得て、前日26日にまず戸建ての住宅で鍵の引き渡し式がありました。まだ工事中の所が一杯あり、その一部をカメラで捉えました。写真中央の戸建ての何軒かに、双葉町仮設などの住民が初めて「安住の場」を得た事になります。手前の集合住宅も、これから続々と入居が始まるでしょう。

 お年寄りが多く、勿来町窪田の私が通っている病院までは徒歩で行けません。なので訪問した時には既に「双葉郡立勿来診療所の建物が完成していました。更にすぐ隣には「双葉町サポートセンター ひだまり」も出来ていました。右上が診療所、左下がサポートセンター。

 さらに近くに商業施設も建造予定になっているので、他のいわき市災害公営住宅よりも遥かに利便性が高くなります。この春のオープンが待ち遠しいです。

 集合住宅5棟87戸、戸建ての木造住宅72戸になりますが、ゆくゆくの家賃は上がります。毎日新聞サイトでは全体で入居希望者は7割だそうです。既に紹介しましたが、役所の支部もそう遠くない植田町にあるので、この地域、いわき市勿来町酒井でなく、いわき市双葉町と名称を変えたらなどと思っています。帰還困難区域の双葉町、かなりの面積を中間貯蔵施設が占め、進入出来ない私には良く分かりませんが、3・11以前の面影は無くなってしまっているようです。そこに特定復興再生拠点を据えて住民の帰還を求めても、もはやそこは古里とは言えなくなります。原発による悲劇はまだまだ続きます。