ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

風にそよぐ葦

 「この人たちが行ってしまうと、イエスは、ヨハネについて群衆に話しだされた。「あなたがたは、何を見に荒野に出て行ったのですか。風に揺れる葦ですか』(マタイ11:7)。
 戦争末期横須賀の海軍に経理関係で入った父は、銃後の護り役の母に、焼夷弾が落ちて火災になったとしても、裏の防空壕に相当な書物を隠しておけと命じたそうである。それほどの読書家だったらしい。
 父が戦艦大和にも採られず、無事戻って来たので私が生まれた。その書斎は多彩で、幼い私を魅了した。
 その中に石川達三の本が数冊あった。蒼氓、生きている兵隊、結婚の生態…。そして題に出した『風にそよぐ葦』である。長らくその元になった書物、出典が分からなかった。
 信仰を持つようになり、マタイ伝を読んだ時、その個所に出会った。そしてルカ伝にも同じ聖句があった。
 対象はヨルダン川バプテスマを授けていた、バプテスト(=洗礼者)のヨハネである。意味はそうした岸辺に群生する葦が、風の吹くたびにあちこちになびく如く、他の人の意見に引きずられる弱い者、時の権力者の考え方に左右される、信念のない人の事である。
 イエスヨルダン川に集まった群衆が、ヨハネのうちに何を見たのかを質された。勿論ヨハネはイエスの先駆者であり、人間として弱い面はあったものの、決して風にそよぐ(新改訳聖書では揺れる)葦ではなかった。この救い主イエスを信ぜよと、群衆に悔い改めと、罪の赦しの為のバプテスマ(水に沈める事、象徴的な儀式)を迫ったのである。気迫のある、主張を曲げない人だった。
 9月20日自民党党首を選ぶ選挙があった。約半数が権力者安倍首相になびいた。反旗を翻す気骨のある人は少なかった。それほどに自民党は堕落し、落ちるところまで落ちた。
 ではそう批判するこの私は何者なのか?
 これまで安倍首相のひどい政治の手法に、ずっと異議を唱えて来た。しかし彼は「聞く耳を」持たなかった。
 敗北に敗北を重ね、或る日そうした行動の限界を感じた。
 そこでブログを中断し、祈りに徹する事にした。「義人の祈りは働くと、大きな力があります」(ヤコブ5:16)とあるからである。神には義人のどんな祈りにも聞く耳を持っておられ、聖書を通読しても分かる通り、いつか祈った事を、必ず成し遂げて下さる。神はそうした偉大な方なのである。
 ゆえに神はみこころでない権力者をいつか引き摺り下ろされる。そう信じて祈る。「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる』」(ローマ12:19)。
 これまで私のブログを読んで下さった方々には、本当に申し訳ない事をした。中断する理由を明確にしておくべきだった。5月で途切れたブログで、心底から私の事を心配して下さる方がおられた事を知り、本当に嬉しく思い、理由を示した。
 そして分野はいろいろ違うものがあっても、今後も書き続けよう、書き記しておこうと思った。新たな気持ちで、これまでの「です」調から「である」調に代えてみた。
 バプテスト教会の一員として、ヨハネの模範にあやかりたい。