ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

水素社会

「知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか(コリント第一1:20)。
 昨年の夏、中学時代の友人が八王子から来てくれた。彼は車だったが、電気自動車だった。
 一泊し楽しい語らいの時を持った。私の家にあるベランダソーラー発電の器具1式は、こちらに引っ越してきた時、彼が送ってくれたのである。
 ところが浜通りの強風を知らなかったので、しっかり立てて置かず、風で倒れかなり損壊させてしまった。それでも動くので、携帯やデジカメのバッテリー充電に役立っている。
 食事に行く時彼の車に同乗させてもらったが、途中私の教会に近い20号のスタンドで、ガソリンではなく電気を充電した。初めてその様子を見た。ガソリンを入れるだけなら、あっという間だが、電気の充電には優に30分はかかる。1回で200キロは走るのだろうが、八王子から勿来まで240キロはあるので、あらかじめ中継のスタンドを確保しておかなければならない。渋滞やいろいろな事で、計算通りには行かないから、それがちょっとストレスになると言っていた。
 その電気自動車に対して、新たに燃料電池自動車が開発された。それは水素ステーションという所で、水素を充填して走る。まだ誰かに乗せてもらった事はない。水素だから時間は3分くらいだという。
 この燃料電池自動車が、水素社会の一つの象徴だとトヨタの開発者は言っている。
 水素社会とは何か?英語ではhydrogen societyと言うそうだが、水素をそんなふうに形容詞として使っても、ピンと来ない。
 デジタル大辞泉には「日常生活や産業活動の主要なエネルギー源として水素を利用する社会」とあった。これならだいたい分かる。
 そもそもこの造語、たぶん経済産業省あたりから出たと推測する。彼ら役人はいわゆる東大話法が得意である。「相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す」とウイキペディアにあった。
 そして経済産業省福島県浜通りイノベーション・コーストと位置付けている。これまた人を煙にまく造語だが、その中の企画の一つに、再生可能エネルギーを使った水素製造プロジェクトが含まれている。「福島水素エネルギー研究フィールド」なるものを、浪江町に作るつもりである。経済産業省資源エネルギー庁のホームページには、「この浪江町に1万kW級となる世界最大級の水素製造設備を建設し、再エネで大規模に水素を製造する実証をおこなう予定となっています」とあった。
 彼ら役人が自信満々に言いたい事はこれだと思った。災害便乗型資本主義の典型だろう。
 しかし私はこの企画成功しないだろうと思っている。福島に住む一般庶民に分からない造語ばかり持ち出し、理解を求めようと努めない。庶民の益を標榜しない。ちなみに4年前発売のトヨタMIRAIという燃料電池自動車は、新車で727万円するそうである。それに水素ステーションだって、ガソリンスタンドのように、福島にたくさん作れるのだろうか?若者が戻って来ない福島で、そんなものが繁栄するようにはとても思えない。
 イエス・キリストは柔和な方だった。まず滅多に怒った事がなかった。しかし福音書には「イエスは言われた。『おまえたちもわざわいだ。律法の専門家たち。人々には負いきれない荷物を負わせるが、自分は、その荷物に指一本さわろうとはしない』」(ルカ11:46)とある。「律法の専門家」は、各省庁の役人と読み替える事が出来る。
 浪江住民は避難解除後も大部分が各地に散って暮らしている。望郷の念は強い。経済産業省の話など馬耳東風だと思う。