ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

大川小に続き、請戸小も保存なるか

イスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。これらの証書、すなわち封印されたこの購入証書と、封印のない証書を取って、土の器の中に入れ、これを長い間、保存せよ」(エレミヤ32:14)

  全く同じ二通の証書がパピルスに書かれた。封印された証書は改ざんを防ぐ目的で、封印の無い証書は必要な時いつでも確認出来るようにする目的だった。それらを非常に長い期間保存せよとの神の命令であった。記録の保存は大切だった。

 宮城県石巻市は、東日本大震災津波で、児童と教職員84人のいのちが奪われた旧大川小(昨年3月閉校)の保存を、2016年3月に決めていた。19年1月20日のニュースでは、その整備計画案が纏まった事を伝えていた。多数の犠牲者が出た教訓を永く伝える事、また鎮魂慰霊碑を設置する事がそこに盛り込まれていた。蓋し当然の事だろう。いつまた不意の大津波が、どこかで起きるかも知れない。それを想定すれば、その教訓を保存し、繰り返し読み、対策を煮詰めておくのは、極めて大切である。

 では私が訪問した事のある、浪江町の請戸小の場合はどうか。

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 2018年11月の河北新報は、やはり浪江町もこの小学校校舎を保存する事を検討中と伝えていた。

 大川小とは対照的に、ここの児童は全員、数キロ離れた請戸城址のある高台まで徒歩で逃れ助かった。後から高さ15メートルに及ぶ津波が襲って来た。その為大人など計182名が犠牲になった。その犠牲者の慰霊碑が出来たのは既に述べた事がある。

 この校舎は当然保存すべきだと思う。3年前の国は、1市町村につき1個所だけしか復興交付金を出さない事を決めた。その姿勢が問われる。

 私は昨年末までに浜通り津波被災地をざっと見て来たが、もっとたくさん保存すべきではないかと思っている。

 浪江や富岡町夜ノ森などに住んでいた教会員の自宅は、かなり解体された。皆がそれを惜しんでいた。まして公共施設ならなおさら。

 なぜ一方で児童が全員助かり、他方で多くの犠牲者が出たのか、8年などといった短期で、その記録を途絶えさせてはならない。国は五輪で福島の復興を大々的にアピールし、そうした遺構の保存には極めて消極的だろうが。