ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

三春藩の裏切り

イスカリオテ・ユダ。このユダが、イエスを裏切ったのである」(マルコ3:19)。

 戊辰戦争のうちの東北戦争では、白河が新政府軍と列藩諸藩との戦いの要の地であった。そこが押さえられると、会津への攻略は容易になる。だから仙台藩は新政府軍の白河入城阻止を最初に掲げていた。

 東北新幹線など利用し、福島市松川町に物件を見に行った時、白河を通過したが、まだそこで降りた事はない。

 地図で白河市を調べると、その直ぐ東に棚倉町がある。白河が取られると、棚倉の攻撃は簡単らしい。多数の戦死者を出したこの白河の戦いは、戦局の後半、板垣退助の率いる土佐藩兵士が参戦し、政府軍の勝利で終わった。板垣はよく知られている自由民権運動の主導者である。

 彼はそのまま棚倉城へと向かい、棚倉藩兵士の手薄な守りの為、すんなりと落城させた。

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 2002年2月茨城に住んでいた頃、初めて福島の旅をして、病気の母と一緒に棚倉城址を訪れた事がある。

 一方白河の戦いに二本松藩兵士たちも加わっていて、二本松城もまた手薄だった。

 その頃三春城に新政府軍が迫ると、藩は列藩同盟から脱退、新政府軍に恭順したと言われている。歴史の解釈はいろいろあるが、俗に三春藩の裏切りと呼ばれている。彼らは新政府軍を二本松城まで案内したそうである。二本松藩は三春での戦いでは、味方だと信じていた三春藩の銃火を後ろから浴びた。

 このくだりは聖書のイスカリオテ・ユダの裏切りと良く似ている。彼がイエスを裏切り、祭司長らに売ったのである。彼が祭司長や群衆をイエスのもとに案内した。後にユダはその行為を悔いて、首をくくり死んだ。イエス逮捕の後、弟子たちは皆逃げた。

 二本松はそうした事もあって、会津同様悲劇的展開となってしまった。駆り出された少年兵たちは皆死んだ。

 私は2014年12月に二本松を訪問した。智恵子抄で有名な智恵子の実家を見たり、不動産の情報を見たりした。その時農家民宿して雪の降る寒い日に二本松城を視察した。駅から徒歩で、天主台まで上って来た。

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 そこには二本松少年隊の群像もあった。

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 2015年には除染の為に二本松に行き、大怪我をして肝炎も悪化したので、福島はもう駄目かと諦めかけて、帰宅したのだった。自宅で静養している時、今の勿来の物件が見つかり、同時に大熊にあった教会が集団で避難し、勿来から2駅目で新会堂を建てた事を知った。半壊状態の家は解体する寸前だった。本当にぎりぎりのところ、福島に移住出来たのである。ただ主の恵みと言うほかない。