星一の事
「イエスの評判はシリア全域に広まった。それで人々は様々な病や痛みに苦しむ人、悪霊につかれた人、てんかんの人、中風の人など病人たちをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らを癒やされた」(マタイ4:24)。
福島に来て星一という人が、しばしば新聞などで登場するのに気づき調べてみた。
星一(ほしはじめ)は、1873年福島県いわき市江栗町で生まれた。私の住む勿来町の北隣である。そして長男がSF作家として有名な星新一であると分かりびっくりした。その息子が父の伝記を小説風に書いており、『明治・父・アメリカ』に詳しい。図書館で借りた本は、その一部だったので、生涯の一瞥は出来なかった。
旧東京商業学校(一橋大学の前身)を出て米国に渡り、てコロンビア大学を卒業した。
1911年「星製薬」を立ち上げ、東洋一と言われるほどに成長させた。「ホシ胃腸薬」を製造販売したそうだが、私はそれを見た事がない。
1915年に国産初の「モルヒネ」製造に成功する。これは大きな業績だと思う。外科手術に必須であり、また手術後の痛みを除去するためにも、大いに益となる。私が胃を全摘する手術を受けた1976年頃は、若い外科医でもまだモルヒネ中毒の事が頭にあって、痛み止めとしては一日一回程度しか使わせてくれなかった。だから注射ですぐに痛みが消えて恍惚状態となっても、数時間で効果が無くなるので、その後はひたすらその痛みに耐えるほかなく、患者としての生活の質は大いに下がった。
もっと後になって、このモルヒネの持続静脈注入とか皮下注入が、痛みをとる為の方法として主流になり、患者は基本的に痛みを意識する事なく、日々を過ごせるようになったと思う。
1941年星は薬学専門学校を設立し、それが1950年星薬科大学となった。彼自身はその翌年にロサンゼルスで亡くなっているので、その実際の活動はほんの少ししか見ていないと思う。
星製薬と星薬科大学が彼の大きな業績だが、それだけではない。ハーバー・ボッシュ法と言われるアンモニア生成法を考案した、フリッツ・ハーバーの研究所が、第一次世界大戦でのドイツの敗北で苦境に陥ると、星は彼と研究所を支援し続けた。それは多くの日本人が明治期に学んだドイツに恩返しが出来たらという願いがあったからだそうだ。ハーバー自身はユダヤ人でプロテスタントに改宗したものの、毒ガスの製造なども行った為、光と影の両側面を持っている。しかし1918年ノーベル化学賞を受けたのは、星の支援も一役買っている。ハーバーが星に働きかけたのか、その逆かは定かではない。評価は皆さまにお任せする。
そういうわけで、ドイツからの申し出もあり、今勿来町の市民会館敷地に、星の立派な銅像が立っている。行った時は、敷地の端、木々の影で分かりにくかったが、その前に立って、彼の業績を偲んだ。