東日本大震災・原子力災害伝承館について
「正しい人の口はいのちの泉。悪しき者の口は不法を隠す」(箴言10:11)
20年8月17,18日で福島県双葉郡の幾つかの施設を視察して来た。そのうちに一部指定解除となった双葉町のアーカイブ施設「東日本大震災・原子力災害伝承館」という長ったらしい名前のある場所も入っていた。3・11の遺物保存庫である。
「原子力明るい未来のエネルギー」という極めて有名な看板は、双葉町の国道6号から左折し、双葉駅に向かう途中に掲げられていたそうだが、私は実物を見ていないので、是非見ておきたいと思った。解体された後、伝承館で展示される予定だったからだ。
しかし7月21日の朝日新聞によると、看板が大き過ぎてこの伝承館内での展示が難しいとあった。
さらに8月25日の朝日新聞の報道では、膨大な資料や映像のどれを選んで展示するかについては、有識者会議の議事録が非公開とあり、選定基準が全く市民には分からなくなった。この有識者は6名で、さらに復興庁や経済産業省の役人がオブザーバーで参加したという。新聞に載った画像では、黒塗りの個所が一杯あった事を伝えていた。こういう手法は前内閣の時の常套手段である。
するとこの看板についても、今なお原子力エネルギーを維持してゆこうとする守旧派にとっては、はなはだ都合の悪いものとなる。従って上記役人らはオブザーバーであっても、「会議参加者」の意味ではない。別の意味「監視員」そのものである。私はこの看板が伝承館内部に展示されない理由は、彼らに因ると推測している。視察してみてそんな事はないというのが実感だったからだ。原子力災害伝承館でもあるわけだから、看板はまず館内の目立つ所に掲げるのが筋だと思う。彼ら監視員が介入してそれをボツにしたのはあり得えると思う。
双葉郡の国道6号を車で通ると、東の海側では経済産業省の指導の下で、イノベーションコーストという、意味不明の構想による施設が多く完成した。およそ市民とは無関係のものがほとんどだが、これをもって福島復興が声高に叫ばれている。
一方で国道6号西側は、富岡町の夜ノ森地区から大熊町、双葉町にかけては帰還困難となっており、今なお柵だらけである。この対比は鮮明である。復興は名ばかりという町民の嘆きの声が方々から聞こえて来る。
そういう状況を6号から車で眺めていたら、突然双葉町中野地区に向かう新しい道が出来ていた。それまで全くなかったのである。前後して信号があるが、ここにはまだ出来ていない。東日本大震災・原子力災害伝承館へという看板と矢印だけである。それで初めてこの道路を通って東の海側に進んで行った。
そうしたら広大な更地の低地にひときわ目立つ建物が目に飛び込んできた。それがこの伝承館だった、と思ったのは間違いで、まず道路側に双葉町産業交流センターというのが出来ていて、その裏が伝承館だった。こうした施設に至る道は立派で、いち早く作ってしまう。
実は以前8月にはオープンという予定だったが、コロナ問題などで延期され、9月20日開館となっている。初代館長は長崎大学の高村昇教授になる事が決まっている。
この人は原発事故当時から目立っていて、特に福島の小学校児童は、毎時10マイクロシーベルト以下であれば大丈夫と言っていた。原子力村と関係の深い人だ。
富岡町の東電廃炉資料館が、東電の立場からの映像や展示物で満ちているのと同じように、この双葉町伝承館も国の視点から、都合の悪い資料を排除してオープンさせるのは間違いない。換骨奪胎である。
繰り返す。この大きな建物に「原子力明るい未来のエネルギー」の看板が入らない筈は無い。