ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

らい病(=ハンセン氏病)で隔離された経験のある人と聖書の皮膚病

 2011年1月28日の朝日新聞夕刊では、ハンセン病にかかり、強制隔離された二人の人の事を取り上げていました。
 ハンセン氏病はらい菌による慢性の感染症ですが、その感染力は弱いと言われています。でも長らく有効な薬が開発されず、不治の病として人々から恐れられていました。らい菌の電子顕微鏡写真をhttp://www.pref.ehime.jp/040hokenhukushi/030healthpro/00004404040120/rekishi.htmからお借りしました。

 しかし1940年代に米国で治療薬プロミンが開発され、ハンセン氏病は治る病気になりました。その薬がなかった時代は、顔や手足に特有の症状が出るので、ずっと人々から恐れられて来ました。
 その事があって1907年(明治40年)、「癩予防ニ関スル件」という法律が制定され、患者は強制的に隔離されるようになりました。私はこの法律が生き続けて来たものと思っていましたが、ネットで調べると、1953年新たに「らい予防法」というものが制定された事に気づきました。その第三章に「国は、らい療養所を設置し、患者に対し、必要な療養を行う」という規定があり、それに沿って例えば第十五条には入所患者は…国立療養所から外出してはならない」という条項が存在し、厳しい隔離政策が行なわれて来ました。そして私はうかつにも1996年にその法律が廃止されるまで、強制隔離政策が実施されていたという事実を見逃していたのです。
 朝日に登場したSさんは2003年に亡くなりましたが、国の施設は「死ぬのを待つ強制収容所でしかなかった」そうです。それが違法であるとの訴訟が10年前に全面勝訴したのも、けだし当然の事でしょう。
 ところで聖書にも「らい病」という名称が文語訳から登場しており、新改訳では第三版あとがきにある如く、へブル語原語の「ツァラアト」がそのまま使用されるまで続いていました(*ちなみに新共同訳は「重い皮膚病」などとしています)。実際よく検討してみると、聖書の記述では確かにハンセン氏病と似たところもありますが、当て嵌まらない箇所もあり、ツァラアトをそのまま使う、または新共同訳のように皮膚病という、旧約の時代に実際ありながらも不明な病名を用いるというのは賢明なのかも知れません。
 その詳細な記述は旧約のレビ記13〜14章に出て来ます。そこではツァラアト患者の状態を調べるのは祭司の役目でした。祭司が隔離か治癒かの判断をしていました。「祭司は彼を七日間隔離する」(レビ13:21)、「祭司はその患部をきよいと宣言する」(同13:13)。
 この旧約の規定はたぶんに儀式的な律法であり、新約でもツァラアトの患者は登場するものの、規定は存在しません。
 1611年の英国欽定訳聖書ではレプロシー(=らい病)が採用された為、その普及と共に患者の隔離政策に影響を与えたのではないかと推測しています。