ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

再び生肉を食べることの危険性について

 以前このブログで生の牛肉を使った料理「ユッケ」の問題を扱った事がありますが、その集団食中毒事件から1年、2012年4月27日の朝日新聞では、昨年度の食品衛生法強化措置が実施されたにも関わらず、なお生肉を食べる客が居る事を報じていました。その記事に先立つ25日の「記者有論」でも、編集委員の大村美香さんが厳しい提言をしていました。左画像はネットのグーグル画像から拝借。

 調理方法としては生肉の表面から1センチ以上の部分まで60度で2分間以上過熱殺菌し、その部分を除去した肉が生食用として提供出来るという事です。これに違反すると罰金処分や店の営業停止も行なえるようになりました。
 この強化措置で肉の仕入れ値は上昇し、店での値段が高くなりました。それに生肉常連客でも敬遠する人が増えた為、経営者としては儲けにならず四苦八苦しているようです。
 それにもかかわらず生肉を注文する人がまだまだいるようです。そこで厚生労働省は、生レバーについて今年5月から禁止という事で対応するそうです。
 しかし生肉愛好者はこうした法的規制を無視しています。朝日の大村記者は「大人が危険とわかって食べるなら、構わないではないか」と反論する人々が居る事を耳にしています。いわゆる「自己責任論」ですが、そんな論理が通用する筈はありません。腸管出血性大腸菌に感染力が強いのは、昨年の死者5人を出した昨年の事件で実証済みです。ですから食中毒を起こせば、食べた人だけでなく、周囲の人々を危険に陥れるのは間違いない事です。統計に出てこなくても、子どもやお年寄りへの二次感染例はある、と保健所などでは警告しています。人は一人だけで生きているわけではないので、大村記者が「自己責任ですまない危険」性がある事を主張するのも当然の事です。
 聖書ではサムエル第一に生肉の事が出て来ます。
 「それどころか、人々が脂肪を焼いて煙にしないうちに祭司の子はやって来て、いけにえをささげる人に、『祭司に、その焼く肉を渡しなさい。祭司は煮た肉は受け取りません。生の肉だけです。』と言うので、人が、『まず、脂肪をすっかり焼いて煙にし、好きなだけお取りなさい。』と言うと、祭司の子は、『いや、いま渡さなければならない。でなければ、私は力ずくで取る。』と言った」(サムエル第一2:15−16)。
 律法では主へのいけにえの捧げ物をする場合、まず主の祭壇で牛などの動物の肝臓や腎臓など特定の臓器と共に、からだについている脂肪を全て捧げなければなりませんでした(レビ3)。しかしその後は胸や腿の部分を祭司が食べる事も規定していました(レビ7)。ところがこの祭司エリの子ホフニとピネハスはこのおきてを破り、主を差し置いてまず自分のところに生肉を持って来るよう命じました。
 その理由ですが、上記と異なり彼らは生肉を食べるのではなく、脂肪のついたままあぶって食べるつもりだったようです。
 ホフニとピネハスは主の御怒りを買い、戦場で敵に打たれたか、そのさなかの非常に激しい疫病のどちらかで死にました。主に対する罪の報いとしての死でした。
 世の法律でも、他人への損害を与えた生食者は厳罰に処せられるべきです。